当社は神護景雲四年(西暦770年)、和気清麻呂公よって豊前国(現在の大分県)の宇佐神宮より勧請されたことを創建の始めとする。
僧道鏡の企てを阻止した宇佐神宮神託事件の折、野望を挫かれ憤激した道鏡により大隅国(現在の鹿児島県)へ流されていた和気清麻呂公は、道鏡の失脚後罪を解かれ勅命を受け京に召還されることとなった。
しかし海路帰京の途中、清麻呂公の船は嵐に遭ったが為にこれを避けて有帆の入り江(当時有帆の地は海に面していた)に船を寄せた。そしてこの地にて宇佐神宮の御霊代の御幣を松の木に掛け八幡神に祈ったところ、たちまちのうちに嵐は鎮まったという。
そこで清麻呂公は「我今ここに八幡宇佐宮を勧請奉る。依りてこの郷の神とせよ」と仰せられ、御神威に驚嘆した民衆により社が建立されたという。
爾来千二百年以上の歴史を有する、当地方最古の古社である。
古来、厚東・大内・毛利氏の崇敬篤く、厚東氏は代々の祈願所として社領を寄進し社殿を改築。大内弘世は永和二年(1376年)本殿を造営しており、現在本殿西側にある旧本殿がこの建物であると伝えられている。
その後も寛文八年(1668年)に榎本就時は社殿を修復、現本殿東側にある旧拝殿は天保八年(1837年)毛利氏により改築された。明治十三年(1879年)には現本殿を造営し、昭和五十七年(1982年)に現幣殿・拝殿改築し、近郷に誇る壮麗な社殿を整備し、今日に至っている。